あいなきあした
ヒロミにはきちんとした狙いがあったらしく、仕込み中の1時間早くに店を開け、最近は随分と増えたアキラの出待ちの女子達相手にデザートセット(ケーキと紅茶)を売り始めた。黙々と作業しているとはいえ、アキラの顔が見放題なわけだから、ファンとしては口実に店内に入れるのは願ったり叶ったりなのだろう。
そういうファン心理を考慮して、30分入替えの2回転営業の形態にしたようで、カウンター6席とテーブル2席、8分の1カットで2ホールだけ焼いたケーキは、毎日必ず売り切れた。確かに粉を共有出来ることで仕入れのメリットはあるのだが、毎回チーズなど、他の材料費が意外にかさむので、業者に言ってその仕入れもまとめた。
材料費は店から出して、売上げはまるまる渡すので、部屋の下のCD屋のツケも必要無くなった。
好きでやっているんだろうが、時折「めんどくせえ」と嘆きながらも毎日ケーキを嬉々として作るさまは、俺に少しだけ安堵感を与えた。が、やはりヒロミもアキラも夜の厨房の手伝いは頑強に断り続けた…。
そのくせヒロミは自分の店が楽しいらしく、手の込んだ和紙に筆でティータイムのメニューをしたためた。その見事な筆裁きと豪放磊落なその仕上がりは、素人目にも芸術的な高みをを感じさせるものだった。
もちろん、ワープロで仕上げただけの味気のないうちのメニュー表も、なかば強制的に同じように書かせた。この無軌道ではすっぱな小娘のどこからこの清冽な書が生まれるのか…仮に神という者がいるのなら、その気まぐれに天に唾を吐きかけてやりたいほどだ!
アキラ目当てのロリータやらゴスロリやらの客が、仕込み前に集まってお茶を飲み、入れ替わりにサラリーマンと学生がわしわしと麺を食う、奇怪な店となったことは、いささか不本意だったが、奴がどう思っていようが、ヒロミと接点を持って生活していくことは、俺の揺らいでしまった命を根付かせる要因として、欠かせないよすがとなっていった。うっすらとでも絆が、太く、太くなっていくよう無意識に俺は願っていた。その願いは愛無き今日を、人生しか歩めなかったよるべなき者の、小さく光る希望でもあった。
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