愛を待つ桜
「……申し遅れました、一条夏海です。主人は出張で本日は戻りませんが、私でよろしければお話を伺わせていただきます」


夏海の彼女に対する思いは複雑だった。

だが、重ねて『織田さん』と旧姓で呼ばれたことで、夏海の中の、対抗心、嫉妬心が頭をもたげた。

そしてそれは、オフィスでは『一条先生』と呼ぶ聡を『主人』と呼んだことで、周囲の人間にも伝わる。


この智香との裁判沙汰は、聡本人はあれ以上のことを語ろうとしない。
だが聡の母や双葉から、夏海は様々な事情を聞いていた。



元々は、あかねの友人から持ち込まれた縁談で、聡は渋々見合いをしたそうだ。
初めから断わるつもりだったのだろうと、双葉は言っていた。

1度はキッパリ断わったという。ところが後日、「結婚したい」と聡が言い出したとき、再び智香が名乗りを挙げた。


双葉は「婚約者がいながら、なっちゃんと付き合ってたって訳じゃないから。それだけは保証する」と言ってくれて……少なからず、夏海もホッとした。


事実上の離婚、正確には未入籍なので婚約破棄になるのだろうが、その間の智香の言動は常軌を逸したものがあった。
執拗に婚姻を迫り、無断で婚姻届を提出しようとした。
そのときは婚姻届不受理を申請していたため、受け付けられなかった。

裁判で慰謝料の額が決まり、結審した後も執拗に聡の周囲に妻と名乗って出没。合鍵まで作り、聡の自宅に侵入したこともあった。

さすがにそこまでされると聡も黙っておられず……。

告訴の準備を始めたとき、智香の両親は彼女を英語留学の名目で、シドニーの知人の元へ預けたという。


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