愛を待つ桜
人生の最も重要な場面で大きなミスを犯してしまった。
聡は良き夫、良き父親の役を降ろされ、その出番は永久になくなったのだ。

唯一の救いは、お腹の子供が助かったことだろう。夏海が拒むことを承知で、自分の持つ全てを子供たちに与えてやりたいと願った。


短かった幸せな日々を思い浮かべつつ、聡は独り佇んでいた。
彼の手元にあるのは、家族3人で撮った数少ない写真である。これを持ち出すためだけに、彼はわざわざ戻ってきたのだ。

写真の夏海は、ぎこちなくだが微笑んでいる。

その笑顔を見るだけで聡の心は震えた。
際限なしに幸福を与えてくれる、人生で唯ひとりの女性だった。


そっと愛する妻の笑顔を指先でなぞり、


「愛してるよ……夏海」


静かに微笑みながら、そう口にしたのだった。


「――本当に?」


その瞬間、聡は信じられない声を耳にする。

慌てて振り向く彼の目に映ったのは、笑顔の消えた妻……夏海だった。


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