愛を待つ桜
『離婚はしない。彼女の親に幾ら渡したんだ。全額俺が払う。2度とこの家には帰らない!』


実家に戻るなり、両親に宣言する。だが父は「別れろ」の一点張りで、まるで要領を得ない。
見かねた顧問弁護士は、聡を呼び出すと、信じられないことを言い出した。


『実は……奥様は、たびたび一条家を訪れ、お金の無心をなさっておられます。聡さまに恥をかかさないため、聡さまのためだとおっしゃって。お母様は聡さまを慮って、かなりの金額を融通されておられたようですが』


その金額に聡は驚きを隠せなかった。

当時の聡は中学時代に始めた株式の売買で生活費を稼いでいた。
そのころには株主配当を含めて年齢不相応の利益を上げており、それは美和子が生活に困る金額ではないはずだ。


『聡さまの渡米後は金額も大きくなり、お母様も隠しきれず……とうとう社長のお耳に。社長は奥様の身辺調査を命じられまして』

『そんな馬鹿な……生活に必要な金は充分に渡している。第一、小遣いなら自分の給料もあるはずだ。デタラメだ!』


必死になって妻を庇うが、そんな聡の前に、弁護士は調査会社の社名が印刷された封筒を差し出した。


『身辺調査は、聡さまには残念な結果でした。社長はこのことを聡さまには知らせぬように、と。奥様は、かなり高額の慰謝料と引き換えに、離婚届に判を押されました』


聡は手にした封筒の中身を見ることができず。無言で席を立つと自宅マンションに向かった。
妻に帰国の連絡は入れていない。
疑いはすぐに晴れる、そんな思いで自宅に足を踏み入れた。玄関には見覚えのあるハイヒールと……見覚えのない男物の靴があった。

リビング、ダイニングと廻るが姿はない。
そのとき、男女の声が聞こえた。そこは夫婦の寝室――。


『旦那の実家はすげえ金持ちなんだって?』

『まあね、おまけに長男だし、成城に豪邸があるのよ。それなのに、長男の妻である私がこんなマンション住まいなんて信じられる? 少しくらい融通して貰って当然じゃない!』


それは昨日、電話越しに聞いた、絶望に打ち震えているはずの妻の声だった。


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