愛を待つ桜
夏海より30分遅れて聡は出社した。

しかし、どうにも八方塞がりの気分である。


(彼女は一体、何を考えているのだろう?)


考えれば考えるほど聡には夏海の真意が量りかねた。

あの後、何度訂正しても夏海は「一条先生」と呼び続けた。
最後には思わず「所長命令だ!」と叫んだくらいだ。すると、そのまま夏海は口を閉じてしまった。


確かに3年前、『このままにはしない。信じて欲しい』と言った記憶はある。

その約束を違えるつもりなど、これっぽっちもなかった。
最初から嘘を吐き、聡を騙したのは夏海のほうだ。匡と関係しながら、兄である聡の誘惑に乗った、いや、誘惑したのだ。

自分は悠の為に、最大限の譲歩をするつもりでいる。
なのに、その提案すら彼女は聞こうとしないのだ。

昨夜、彼女は『やめないで』と聡に抱きついた。


(夏海が望んだから抱いてやったんだ!)


――いささか虚しい自己弁護に、聡は深くため息を吐く。

全く、酷い有様である。
出社して所長室に繋がるドアを開け、夏海の姿を見るなり彼の脳裏には……息も絶え絶えな彼女の顔が浮かんだ。
頭を振り、追い払おうとすればするほど興奮が甦る。
挙げ句の果てに、この場で彼女を抱き寄せ、唇を奪いたい衝動に駆られる始末だ。

これではとても仕事にならない。

聡はパソコンの電源を切り、席を立ち、夏海から逃げるように事務所を出て行くのだった。


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