愛を待つ桜
夏海はずっとトイレを探していた。

離れのトイレは個室に列ができていて、それを見た家政婦らしき年配の女性が、母屋にもございますよ、と教えてくれた。

しかし、夏海の予想に反して母屋は広かった。

それに、デパートと違ってトイレの矢印など出ていない。鍵の掛かってないそれらしきドアを、片っ端から開けて廻ったが、なかなかトイレには辿り着けない。

夏海は半泣きで、やっと見つけたトイレに飛び込んだ。


用を足し、ホッとして個室から出た。
手を洗って鏡を見た瞬間、さっきの男性が背後の壁にもたれて立っていたのだ。

夏海は慌てて振り向いた。


「やあ、間に合ってよかったね」


苦笑しつつ声を掛けられ……その、デリカシーのない言い方に思わずムッとする。

だが、先客がいることも確かめずに飛び込むという、失礼な真似をしたのは、夏海が先だ。


「あの……入ってらっしゃるのに気付かず、失礼しました。でも、そこで私を待ってらしたんですか?」


用を足す音を聞かれていたのかと思い、夏海は恥ずかしさに顔が火照る。


「まあ、人が入ってきたらマズイと思ってね。一応、見張りのつもりだった」

「見張り? どうしてそんな……」

「なんだ、気付いてなかったのかい? ここは紳士用だよ」

「そ、そんな! 自宅のトイレに紳士用? そんな馬鹿な……じゃ、婦人用は」

「ちょうど、反対の階段脇だ。一応、顔を合せない為の配慮なんだけどね」


なんてこと、自分は紳士用のトイレに飛び込んで、用を足してしまったの? 


夏海は真相を知り、穴があったら入りたい気分になる。


「す、すみません!」


必死で詫びる夏海の耳に、唐突に彼の手が触れた。


「キャッ!」

「ああ、失礼。君、右にもイヤリングを付けてたんだろう?」

「え? ええ、はい。同じものを」


夏海が自分の耳を触ると、そこには何もなかった。


「どこで落としたのかしら……あ」


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