愛を待つ桜
「お宅は、子供さんとふたり暮しじゃなかったかしら」

「はい、そうですが」


夏海の目の前に、コーポの大家が立っている。
咄嗟に思い浮かんだのは家賃のことだが、遅れてはいないはずだ。うるさいと言われるほど騒いだ覚えもない。


夏海の住むコーポは、同じ敷地内に大家が住んでいた。
それは、借家人にはいささか住み辛い環境だ。
古いコーポなだけに年配の入居者が多く、未婚の母である夏海には風当たりが厳しい。
大家も60代の未亡人だ。

だが、以前は風呂なしの、もっと古いアパートに住んでいた。
そこは職業も定かでない独身男性が多く、夏海にとっては身の危険すら感じるような場所だった。
その劣悪な住環境に同情してくれたのが、春まで勤めていた行政書士事務所の高崎所長だ。
彼が保証人となり、このコーポに引っ越せたのである。

大家の女性は夏海の体を上から下まで検分するように視線を動かす。


「おかしいわねぇ。毎晩、男性がやってきてるって他の皆さんが言ってるんだけど……」

「すみません。最近、ちょっと友人が訪ねてきてまして」


聡が泊まっていることに問題があるのだろうか? お客を泊めたら家賃が上がる、なんてことはあるまいが……。

色々考えながら言葉を濁す夏海に、大家はフンと鼻で笑った。 


「友人? よくもまあ、白々しい。隣近所から、毎晩、妙な声が聞こえてくるって苦情が出てるのよ!」


何のクレームかがようやく判り、一瞬で夏海は真っ赤になった。


「小さい子供がいながら、よくもまあ、歳の離れた男を引っ張りこめたもんね。それとも、ああいうことでもしなきゃ、食べていけないのかしらねぇ」

「それは、どういう意味ですか!?」


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