愛を待つ桜
「随分お金持ちそうな男だって聞いてるのよ。だったら、もっといい部屋を借りてもらったらどう? うちのコーポで、そういう商売されちゃ迷惑なのよ!」

「私は、司法書士として働いてます。決して、そんないかがわしい仕事はしていません!」

「未婚で子供を産むような女が、そんなちゃんとした仕事してるかどうか怪しいもんだわねぇ」


そのあからさまな偏見に、夏海はグッと言葉を呑んだ。

子供がお腹にいるときから、ずっと言われ続けてきた。
大学卒で資格がある、一流企業で重役秘書していた、どれだけ説明しても信用されない。
それどころか、面接官から『不倫でもしてクビになったんじゃないの?』と言われたこともある。

高崎所長の事務所に勤める前、少しの間だけ派遣で働いていたときも、何度となく既婚男性から誘われた。
“そういう女”だから安心して遊べると思うらしい。


「とにかく、風紀が乱れると困るの。来月中にここを出て行ってちょうだい!」

「待ってください、そんな急に……言い掛かりです!」


偏見を持つ人間には何を言っても聞き入れてはもらえない。
それはここ数年の経験で判っていた。


「私の仕事はちゃんとしたものです。資格証もあります。それをご覧いただけたら」

「年寄りだから、簡単に言いくるめられると思ってるんだろうけど……そうはいきませんからね!」

「そんなつもりはありません。でも、ここを追い出されたら困るんです。子供の保育園もこの近くで」

「あら、お友達のお宅にお世話になったらいいんじゃないの? それとも、奥様がいらっしゃる方なのかしら?」

「そんなこと……」


そのとき、大家の後ろのドアが思い切り開いた。


< 78 / 268 >

この作品をシェア

pagetop