愛を待つ桜
さっき、トイレを探している途中で、中2階の部屋のドアを開けた。

メイキングされていないベッドがあり、まるでホテルの一室のように見えた。トイレがないかと探したのだが見つからず。
そのときに、間違えて開けたウォークインクローゼットで、上に積まれた布団が落ちてきたのだ。
慌てて元に戻したが、ひょっとしたらそのときに……。


彼にそのことを話すと、


「それなら、横の階段を上がったところだ。一緒に行こう。迷子になったら困るからね」

「すみません。ありがとうございます」


ずっとクスクス笑いをされ、馬鹿にされている感じだが、なぜか嫌味な印象はない。

さっきは慌てていてじっくり見なかったが、歳は30代半ばだろうか。
髪は整髪料で綺麗に整えられ、落ち着いた上品な面差しをしている。
平均より少し長身の夏海が見上げるほど背が高く、スポーツをやっていたのか、スーツ越しにも判るほど筋肉質の体型をしていた。
しかも、日本人には珍しく足が長い。彼のスーツがオーダーメードであることは間違いなかった。

こんなに素敵な男性なら奥さんがいるんだろうな、夏海はボーッと見惚れながら、黙って後を付いて行く。


「ここは、客間なんだ。トイレはあるけど、普段は鍵が掛かっている」


後になって思えば、邸内の事情に詳しいことを不思議に思うべきだった。
でも、このときは……笑みを絶やさない彼の心遣いと、耳から入る甘やかなバリトンが心の大部分を占めていた。
些細な疑問符など、浮かぶ余地もなかったのである。

ふたりは思ったより時間を掛けて、布団の間からイヤリングを見つけ出した。


「すみませんでした。ご面倒をお掛けしてしまって……」


どうも、彼のジッと見つめる瞳に、胸がドキドキして顔が上げられない。
夏海は俯いたまま、小さな声で謝る。


「いや、貴重な経験だったよ」


聡が真剣な声で返事をしたとき、客間に誰か入ってきた。


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