愛を待つ桜
「いや、それは……」


実光の質問に、珍しく聡の視線が泳いだ。
よほど答え辛そうである。

だが、夏海には何のことか見当もつかない。
彼女が聞いてるのは、智香から訴えられ、入籍はしなかったが離婚同様の慰謝料を支払ったということ。
それだけだった。


「裁判、て……離婚されたときですよね。何かあったんですか?」


夏海にも聞かれ、聡は観念したように話し始めた。


「何度も断わったが、彼女は私との結婚を望んだ。それで私も……。だが、言っただろう? 式の直後にとんでもない間違いを犯したことに気付いたって。無論、結婚した以上は責任を果たすつもりだった。でも……」


聡は一旦言葉を切る。
そして、目の前のお茶をひと口飲んで、ようやく言葉を繋いだ。


「とにかく、夜が……全くダメだったんだ。だから、戻るなり結婚を取り消そうとした。もちろん、彼女には充分な慰謝料を支払い、名誉も守るつもりだった。ところが、彼女は入籍を迫ってきて……」


智香は聡に対して異常なまでの執着を見せた。
愛と呼ぶには病的なほどだったという。


「結局、夫婦生活を送れる状態じゃない、と証明することになり、医者の検査を受けたんだ。でも、今度は逆に、重要事項の告知を怠ったと言われた。金で済むならと思ったんだが、婚姻相当として財産分与も求めてきたから、さすがに承服しかねてね。1年くらい揉めたんだ」


にわかに信じ難い告白だ。夏海は言葉もない。

最初に逢ったとき、クローゼットでいきなり押し倒してきた。
そして、わずかひと月の間に、夏海を愛と言う名の天国に導き、果ては地獄まで案内してくれたのだ。

そしてそれは再会してからも変わらない。
昨夜にしてもそうだ。ソファからベッドに移動し、彼の欲情に翻弄され、いつしか夏海も我を忘れて応えていた。

そういうときの彼自身は――夫婦生活を送るのに申し分ない存在、としか形容しようがない。


「そんな、嘘です。だって、そんなこと」


ダメじゃないでしょう――と言いそうになる。
同時に、夏海は聡の逞しい姿を想像して、頬が熱く火照った。


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