愛を待つ桜
「信じられないって顔だな。まあ、無理もない。君相手に、そういう状態になったことはないし……むしろ」


薔薇色に染まった夏海の頬は、見るだけで触れたい誘惑に駆られる。
初めて逢ったときと全く変わらない。
聡から理性の仮面を剥ぎ取り、欲望の素顔を晒し出すのだ。

そう、両親の視線を感じる、このときですら、彼は抱き寄せたい衝動を必死で抑えていた。


「とにかく、そういう理由で別れるときは大変だったんだ」


聡は、わざとらしく咳き払いをすると、わずかに残った理性を総動員して、視線を夏海から引き剥がした。

聡の告白に室内は静まり返っていた。そんな中、実光が口火を切る。


「織田、いや、夏海くん。すまんが、母さんに、その……悠くんだったかな。孫に、会わせてやっちゃもらえんか?」


孫、という言葉に力を込める。
父の声から幾分険しさが消えていた。


「はい。もちろんです」

「ああ、それがいいな。父さんは?」

「私は……後でいい。聡」


その微妙な空気を夏海は悟ったようだ。
彼女はスッと立ち上がった。


「では、奥様。悠に会ってやってください。あの子も喜びます」

「ええ、そうね。でも、夏海さん、あなたは聡さんのお嫁さんなんだから、お義母さんと呼んでちょうだいな。ねぇ聡さん」


孫のふた文字に浮き足立っているのか、あかねは夫の表情など気にも留めず、ニコニコしている。
「まあどうしましょう、お土産も持ってきてないわ」そんな言葉を口にしながら、急ぎ足で部屋を後にした。

続いて夏海も一礼をして所長室から出て行った。


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