『掌編』彼がケータイを持たない理由
*
昼休みの音楽室に響き渡るビートルズ。
直紀は窓にもたれかかり、ぼんやりと外を眺めながら指先でリズムを刻んでいた。
音楽室に向かってパタパタと走るスリッパの音が近づいてくる。
そして、音楽室の戸は勢いよく開けられた。
直紀がちらりと入口に目をやると、そこに立っている夏美は、肩で息をしていた。
直紀の涼しい様子に、夏美は少しいら立った声で、
「お願いだから、携帯持ってよ」
と言いながら、大きな足音をたてて直紀に近づいていく。
「いつものように屋上にいるのかと思って、私、屋上まで行ったのよ?」
声が大きい上に身振り手振りまで大きい。
「屋上にいないから、ここかなと思ってこっちに戻ってきたけど」
直紀は、まくし立てる夏美を見ながら、にやりとした。
「何がおかしいわけ?こっちは走りまわって探したのに。短い昼休みに少しでも一緒に過ごそうって言ったのはそっちでしょ?っていうか、この歌、誰!」
夏美はビートルズにすら八つ当たりをする。
それがたまらなく愉快だった。
「ビートルズ。先生がかけていいって言ったから」
「なんで、そこを先に答えるのよ」
直紀は、怒りで沸騰している夏美の鼻先まで顔を近づける。
「怒ってる顔、かわいいね」
そう言って、にんまりと笑った。
「ちょっと!いい加減にしてよ!」
夏美は一歩下がって直紀を鋭く睨みつけたが、その視線をまるで感じていないかのように直紀は視線を窓の外へ逸らし、ふぅとため息をついた。
「携帯ってさ、必ずつかまるでしょ。どこにいても、誰といても。なんか縛られてるみたいで息苦しい」
直紀の前髪が風でふわっと浮いた。
「こっちは不安なのよ。連絡つかないっていうのが。不便で仕方ないわ」
夏美は眉をひそめた。
「そうかな。僕は大切な人がこうしてちゃんと見つけてくれるから、ちっとも不安じゃないけど?」
そう言って夏美の腕をつかみ、ぐいっと引き寄せ、優しくキスをした。
そして、ゆっくり唇を離し、夏美の額に自分の額を当てて囁いた。
「君を待っていたからこそ、この瞬間がたまらないんだよ」
fin
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