絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ
「え……」
「それまでは大人しくここにいろ」
「え……こう、かん……」
「よほど気に入られたな」
 男はノートパソコンから目だけ上げ、にやりと笑う。
「え……交換ってそんな……。あの……」
 香月は考えながら喋る。
「あの、私はそんな親しくないし……」
「それはお前がそう思っているだけだろう? その重要書類は、何億も稼げる権利書だ。それを捨ててまでお前を取り戻したいということだ」
「……でっ、でも、多分普通の人はそうだと思います! お金よりも、人命が大事!」
 思い切って言った。
「奴は普通じゃないさ」
「……」
 そう、思えばずっと変だ。こんな豪華な客船に、銃まで出てきて……。阿佐子が言っていた、人を海に沈めるというのは、こういうことなのか。
「……そんな……私、困ります……」
「奴の元に戻れるのに?」
 煙草の煙を吐きながら、男は聞いた。
「そんな……助けてもらって、車まで買ってもらったって、私には、その、何もできることはありません」
「いるだけでいいってことじゃないか?」
「……」
 香月は男の顔を見る。
「側に」
「そばに……そんな……私、……、私、このままだと確かに困ります。だけど、助けてもらうのも、困る気がする……」
「それほどの気に入りなんだ。好意にそむかれたって、殺しはしないさ」
 男は少し笑いながら言ったが、冗談には聞こえなかった。
「その……私、本当に全然知らないんです、本当にあの……あの人は、人とか……殺したりするんですか?」
 真剣な表情で聞いた。
「殺すとしたら人だけだろうが」
 香月は一度俯いたが、さっと顔を上げて、男の目を見た。
「あなたも、人を殺しますか?」
 思い切って聞く。
「そう見えるんならそうだろうな」
 即答されて、返す言葉を失った。
 どうしよう。やくざなんだろうか? 沈めるって本当にそういうことなんだろうか? そしてこの男も、例えば私が逃げ出そうとしたら、こめかみに銃を当てて、脅したりするんだろうか?
「なんだ?」
 視線に気づかれて、おもむろに、逸らす。
「……あ! あの人、あの、船で撃たれたあの……あの人どうなったんでしょう」
「掠った程度だ」
「でも、すごく血が出てて……」
「心配なら、後で見舞いにでも行けばいいさ」
 彼はそこまで言うと、テーブルの隅から一冊の冊子を取り、パサリと、香月がいる方へ滑らせた。
「好きに頼め」
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