絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ
「三人称だったのかな、ただの」
「ですよ(笑)。就職してから、彼氏はずっといません」
「声とかかけられない? 俺、香月っていう美人がいるっていう噂で香月のこと知ったくらいだよ」
「え、なんですかそれ……声もそんな、変な声ばかりで(笑)」
「BМは彼氏からもらったんだと思ったけど?」
「え、宮下店長からって意味ですか?」
「そう言われると、違うけど(笑)」
「あれは、友人の知り合いからです。お金持ちの人なんですよ。偶然です」
「……へえ。世の中にはそんな人もいるのな」
「ですよねー」
 宮下との関係の疑いは一応は晴れた。彼氏もいないときてる。
 しかし俺は絶対に誘わない。そういう人間なのだ。会社にどんな美人がいたって、誘われたって、それは仕事をする、金を稼ぐ神聖な場所での人であって、プライベートとは全く別なのである。こうやって延長で飯など食ったりするが、それはあくまでも仕事の範囲内であって、私生活には繋がらない。
「あぁ。そう……宮下店長が見合婚するって噂の方が本当なのかな」
 薄い記憶を思い出しながら言う。
「え」
 香月は大きく目を見開いた。
「誰だったか……そんなこと聞いた気がする」
「え、それいつの話ですか?」
「最近。確か……いや、ちらっとレジで話してるのを聞いて、いや、どこだったかなー、店長会? いやそんな前じゃないか……本社だったかなー、なんかそんな記憶だけがある」
「えー、ほんとですか!?」
「全く確かじゃないけど。香月、どうした(笑)」
「えー……うーん、なんかショックかなあ……」
「どうして(笑)」
「なんでだろう。独身のイメージが強いからかな……」
 香月は完全にこちらから視線を逸らして、何かを考え込んでいる。
「それだけで?」
「……えー、それ、本当ですか?」
 ただの噂だと言ったのを聞いていなかったのか、香月はしつこく聞いた。
「いや、本当か噂かは全く分からないな。本人に聞くのが一番いいんじゃないか?」
「……そう、ですよね……」
 その後香月はしばらく黙って、白くなった皿を眺めていた。
「香月、そろそろ帰るか? それとも、傷心をここで癒す?」
「いえ、帰ります」
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