惑溺
 
薄暗い室内で音を立てないようにと気を付けながら、なんとか玄関にたどり着き、体を小さく屈めてブーツを履こうとした瞬間。


「……帰んの?」

背後から低い声が響いた。



びくりとして振り返ると、暗い闇の中に光る冷たい瞳。
上半身裸のリョウが、廊下の壁にもたれるようにして私の事を見下ろしていた。

「まだ地下鉄動いてないだろ。始発まで寝てけば?」

まだ眠そうな顔であくびをしながらそう言った。


その態度に、私は酷く傷つく。
私との出来事なんてなんでもないような、その平然とした態度に。

私ひとりこんなに動揺してる……。
なぜだか溢れそうになる涙に、うつむいて唇を噛んだ。

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