惑溺
「……まだ準備中なんだけど。勝手に入ってくるなよ」
ドアの開く音で気づいたのか、リョウは私の方を振り返りもせず、ボトルを磨きながら冷たい声でそう言った。
「……リョウ」
一体彼に何から聞けばいいのか。
私の頭は真っ白になって、ただその名前を呼んだだけでそこから先の言葉が出てこなかった。
「せっかく明日は日曜で休みなのに、デートはもうおしまい?
あの後先生とケンカでもした?」
彼は長い指で磨いたボトルを丁寧に棚に戻すと、混乱する私をからかうように笑いながら振り向いた。
「それとも、俺に会いたくて婚約者をおいて来た?」
「そんなんじゃ……!」
思わずカッと頬が熱くなる。
あなたに会いたくて来たんじゃない!
私はただ……!
「冗談だよ」
リョウは微笑みながらカウンターの中から出てきた。