惑溺
 
手の中の鍵を、彼に付き返そうとした時
私の後ろで木の扉が開いた。


「リョウくんこんばんはー。もうお店やってる?
って、あれー、由佳だ」

開いた扉から聞き覚えのあるハキハキとした明るい声。

「博美……」

「偶然だね。由佳も来たの?
一人でバーに飲みに来るなんて、なんか由佳らしくないね」

笑顔で入って来た博美が、向かい合って立つ私とリョウを見て不思議そうに首を傾げた。


「違っ……、あの……」

「忘れ物、取りに来ただけですよ」

慌てる私を遮って、リョウは丁寧な口調で穏やかに微笑む。

「忘れ物って、あー、この前の手帳?
まだ返してもらってなかったんだ。本当由佳はのんびりしてるよね」

納得したようにそう言って笑う博美の顔を、とても直視できなかった。
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