惑溺
 
白いシャツを腕までまくりカウンターの中でグラスを洗うリョウが、うつむいたままくすりと笑った。

「由佳、そんなに落ち着かない?」

低く艶のある声が静かな店内に響いて、私は思わず飛び上がる。

「さっきから、何そわそわしてんだよ」

きゅと蛇口を捻り、リョウが顔を上げた。

水音が止み、ふたりきりの店内が急に静かになった。


「だって、お店にくるのって久しぶりだから」

平静を装いながら私がそう答えると、リョウは濡れた手で黒い艶のある髪をかきあげながら、呆れたように、でも優しく微笑んだ。

その表情に思わず鼓動が高鳴る。

付き合ってもう1年近くたつのに、未だにこんな些細な事でドキドキしてしまう自分。
微笑みひとつでこんなにも簡単に私を動揺させるリョウが、憎たらしくて愛しい。
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