惑溺

落ち着いた照明の小さめのバーで、カウンターの中にいたその人の存在に、どうして今まで気づかなかったんだろう。
数人のお客の会話と、落ち着いたBGMでほどよく賑わうその店内に響いた低い声。
決してその雰囲気を壊すわけじゃないのに、やけに存在感のある色っぽい声。

こんな声の人がいるんだ。

そう思いながら顔を上げると、そこにいたのは黒髪の背の高い男だった。




「どうしたの由佳?なんか頼まないの?」

言葉を無くした私に、隣にいた博美が不思議そうに声をかけてきた。

「あ……!ごめん、ちょっとぼーっとしちゃって。
あの、じゃあ、お願いします」

慌てて私がそう答えると、カウンターの中にいた彼は口元だけで軽く微笑みカクテルの用意をはじめた。


何ぼーっとしてるの、私。
酔っちゃったのかな。まだカクテル1杯しか飲んでないのに。

勝手に熱くなった頬を誤魔化すように、さっきまでグラスを掴んでいた少し冷たい手のひらで頬に触れてため息をつく。
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