惑溺
 
「聡史によろしく言っといて」

「あ、はい。お先に失礼します」

笑って手を上げた木本さんに会釈をして、給湯室を後にする。

急いで着替えて地下鉄に向かえば、7時前にはつくかな。
なんて頭の中で時間の計算をしながら自分のデスクの上をさっと片づけて、手帳と携帯を手に立ち上がる。
すると赤い手帳の隙間から、カツンと何かが床に落ちた。



「あ……」

足元に音をたてて転がった銀色の鍵。
その鍵を見た途端、唇によみがえった感触。
黒い前髪の隙間から、私の事をみつめる黒い瞳を思い出して、背筋がぞくりとした。

そうだ。
この後、リョウの家に鍵を帰しに行かなきゃならないんだ。

ゆっくりと手を伸ばしその銀色の鍵を拾い上げ、掌の中で強く握りしめた。




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