惑溺
 



ピンポーン……




マンションの廊下に響くインターホンの音を聞きながら、リョウの部屋の前に立ちつくしていた。
携帯で時間を確認すると10時20分。

あれからゆっくりと食事を終え、聡史と別れてからここへとやってきた。
もう二度と来ることはないと思ってたこの部屋の前に。


まだ仕事から帰ってないのかな……。

いくら鍵を開けて部屋に入っていていいって言われても、他人の部屋に勝手に入るなんて、やっぱり出来ない。
肌寒いマンションの廊下で、私はため息をつき壁に寄り掛かった。

コンクリート製の壁はひやりと冷たくて、触れた場所から私の体温を奪っていく。
もう冬だな。
口から洩れた息がふわりと白く色づいたのを見て、ますます体が冷えていく気がした。




コツ、コツ、コツ……

薄暗い廊下に響いた足音に顔を上げると、ゆったりとした足取りで背の高い黒髪の男が近づいてくる。
< 90 / 507 >

この作品をシェア

pagetop