時は今
「ああ、忍」
「この間、ソロの練習の時伴奏してくれてありがとう。それで、お願いがあるんだけど…」
「何?」
「四季、その時間だけ音楽科で借りられないかって…担任が。綾川先生と体育の上原先生には話をしておくからって」
先日、四季がピアノを弾いているのを忍が見かけたのは、本来なら体育の授業であったはずの授業を、四季がまだ受けられなかったからである。
見学をしていると上原先生に「教室に戻っているか」と言われ、「はい」と返事はしたものの、教室に戻る気にもなれず、校舎内を歩いていると、グランドピアノのある器楽室にたどり着いたというわけだ。
それで自然に鍵盤に触れたくなったのである。
その時間、忍のクラスは音楽になっていて、忍は独唱のパートをふられていたため、楽器のパートをふられているクラスメイトとは別室で練習をしようと器楽室に向かったところ、四季のピアノを耳にしたのである。
その時忍に声をかけられ、ソロの練習をしたいのだという話を聞いて、四季が忍の練習に協力をしたのだ。
四季にとっては見学は苦痛以外の何者でもなかった。
(見学したくてしているわけではないのに──)
「上原先生と綾川先生がOKを出すなら、僕はいいよ」
四季の二つ返事に忍は「ありがとう」と言った。
「無理はしないで。これ、楽譜」
忍は短く用件を済ませると、去って行った。
恭介が「…すげぇ」と呟く。
「お前、いつのまに、揺葉忍と仲良くなってんの?」
揺葉忍は密かに男子の注目を集めていたりする。
黒木曰く「静かな色気がある」らしく、男がいそうでいて、どこか寄せつけない雰囲気を持っているあたりがいいらしい。
「えー?四季くんも揺葉忍が好き?」
荻堂芽衣に問われ、四季は間をおいて、「うん…」と言葉を濁した。
「雰囲気のある人だよね」
ストレートに「好き」という言葉にならなかったのは、何となく軽い気持ちで「好き」と言ってはいけない人のような気がしたからだ。