時は今
音楽科の教室に入るなり四季は声高に忍を呼んだ。
「忍!」
四季と音楽とは切っても切れない関係にあるが、進学科の四季が音楽科と接点を持つことは今のところそう多くはない。
だが綾川四季が音楽科に入っていてくれたら良かったのに、という思いの音楽科女子は少なくはないのだろう、四季の姿を見た一部の女子が歓声をあげた。
「四季くんだ!」
「嘘!?ほんとに!?」
教室の一番奥で、数名の女子と机を囲んでいた忍が冷静な表情で四季を見る。
「四季」
四季は忍の方につかつかと歩み寄ってくると、楽譜を机に置き、指し示した。
「これ、何?さっき忍、僕に‘無理はしないで’って言ったよね」
弾いている曲を途中でやめざるを得なくなった人間に持ってくる譜とは思えない。
「ケンカ売ってる?」と真面目な表情で四季が言うのは、それくらいの本物を、渡された譜に見たからだろう。
四季の反応の良さに忍がふわっと微笑んだ。
「弾けるよね?」
忍の眼差しには四季のピアノへの信頼と確信がある。
「四季なら弾けると思った。先生にもそう言ってみた。四季の手は進学科に埋もれさせておくのは惜しいって。無理はしないで、というのは本当。身体だけは気をつけて、調整しながら弾いて。四季は弾きたいよね?」
「──」
忍にすっきりと言い切られて、四季は冷水で洗われたかのような気持ちになった。
やがて四季は「この編曲を手がけたのは誰?」と問う。
忍は何故かその問いに一瞬俯き、気持ちを奮い立たせるように答えた。
「オーケストラ編曲は桜沢静和。涼のお兄さん。ピアノ編曲は桜沢涼。この編曲は桜沢静和の遺作でもあり、妹の涼と手がけた唯一の編曲でもあるの」
四季は机に置いた楽譜を呆然と見つめた。
「桜沢静和──ヴァイオリニストの」
「ヴァイオリンの旋律、見た?この曲を遺作のまま眠らせておくのは惜しいと思って」
「まだ演奏されたこと、ないんだ?」
「そう」
数秒の沈黙があり、四季が落ち着いた声で言った。
「僕に弾かせて」
忍は無言で頷いた。