時は今



 四季は虚ろに「何時?」と聞いてきた。

「九時」

「…ピアノ弾きたい」

 忍は苦笑する。

「弾いてもいいの?大丈夫?」

「今日、あまり弾いてない」

 弾けなくなることの方がよほど不安なようだ。

「汗かいてない?拭いてからの方がいいんじゃない?」

「──うん」

 四季はしおらしく返事をして、身体を拭いてから着替えた。忍は衣紋掛けに四季の着ていた和服をかける。

 四季は楽譜の並んだ棚の前で迷った。

「どうしたの?」

「忍、何が聴きたい?」

 リクエストを弾いてくれるようだ。忍は少し考えて冗談っぽく答えた。

「平井堅」

 すると、四季は「平井堅…」と真面目に呟いている。棚から楽譜を抜き取った。

「『瞳をとじて』?」

「嘘。あるの?」

「うん」

 忍は四季の肩越しに楽譜を覗き込む。

「本当…。すごい」

 四季は思うところあるのか、じっと楽譜を見た。

「…うん。弾ける」

 グランドピアノを開けると座った。忍に楽譜を渡す。

「え?暗譜してるの?」

「うん。この曲練習した」

 すっとした静寂のあと透明なピアノの音がその曲を奏で始めた。



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