時は今



「そうだな…。四季には聞いたことはない。隆史の子に一度訊いたことがあるきりだ」

「──由貴に、ですか?」

「ああ。四季が骨髄移植を受けることになった時に──」

 隆一郎の目は回廊の向こうの家の方を見た。

「隆史の子が四季の部屋に出入りしていることは知っていたし、見かけてもいたが、言葉を交わしたのはその時が初めてだった。私が『ありがとう』と言うと、複雑そうな顔をしていた。その時も同じようなことを聞かれたな。『父には聞かないんですか?』と」

「……」

「隆史はこの家を出て行ったのだ。もう隆史には隆史の生き方がある。私には教師などというものがどういうものなのかは想像もつかん。私はずっとこの家にいたから、仕方のないことだ。それに、うちのような家にいて、隆史ひとりが教師をしていると言ったら、隆史も居心地が悪いだろう。だから私は隆史には声はかけん。その方がいいのだ」

 隆一郎の口から意外にも穏やかな言葉で語られ始めることに、忍は緊張がとけてゆくような心持ちになった。

 隆一郎は忍を見て目を細めた。

「真っ直ぐな目をしているな。話だけに聞けば心配な者のように聞こえるが、こうして実際に目の前にしてみると、そんな心配は要らぬ者に見える。…四季の方から好きになったと言うが、本当か」

「──は、はい」

「四季には、料亭を継がせるのは重いだろう。が、四季には四季の生き方がある。四季がピアノを弾いていることで、広がるものもある。あなたのお祖母様に、あなたの名は伏せて、先日連絡を取ってみた。孫が桜沢静和と親交があり、ピアノを弾いているのだが、そちらの音楽院などに詳しければ話を聞かせてもらえないだろうかと。とても気さくな方で、四季があまり身体が強くないことも話すと、いろいろと気遣ってアドバイスもしてくださった。日本に興味をお持ちのようで、こちらの家の写真も幾つか送ると、喜んでくださった。それで、最後にあなたの名前を出すと、とても感激されて、折を見て、日本を訪れてもいいだろうかという話をなさっていた」



< 416 / 601 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop