時は今
忍は初めて聴かされる母の家のことに、自分とは関わりのない世界の話でも耳にするような表情でいる。
また、実際にそうだからだ。
母の葵はそんなことを話したことは一度もなかった。
聴いたことはあるが、答えてはもらえなかったのだと思う。
いつの頃からか、葵に話しかけることがなくなった。話しかけると手をあげられることが怖かったから。
手をあげられているのは自分の方なのに、何かに脅えているようだった葵。
(お母さんは何を恐れているのだろう)
おとなしくしていれば、機嫌の良い時は、それほど恐ろしさを感じさせる人でもなかった。
忍の表情が遠い過去に蝕まれるように色を失う。
隆一郎が気遣うような目になった。
「何かあったか」
「いえ」
忍は穏やかに微笑んだ。
「私もそのことは初めて知ったので…驚いただけです。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「…泣きそうな顔をしているわ」
早織が心配げに忍の頬に手をのべる。あたたかい。
俯いた。
「私は母に疎まれていたので…」
こぼれ落ちた言葉は、ぽつぽつと降りだす雨のように、紡がれ始めた。
話せる時に話してしまおう。不安を抱え込んだまま隆一郎と早織の前に立っていることがつらかった。
「私は人との繋がりが希薄な家で育ちました。四季が選んでくれる相手には相応しくないのではないかと、不安でした。今でも不安なんです。私は四季の重荷にはなりたくない。母の家のことを聴かされても本当に何もわからないし、私が今、ここにいていいのか、自分ではわからないんです」