時は今



 雛子を家の外まで連れ出した樹は、雛子の声で足を止めた。

「痛い。離して」

 はっとして樹は手の力をゆるめる。雛子ははたくように樹の手を払いのけると、頑なに身を守るように身構えてしまった。

 樹は困ったように言う。

「…頼む。お前が俺を嫌いなのはよくわかったから、もういい加減、お前もそんな身構えるなよ」

「お前って誰?私、ちゃんと高遠雛子って名前があるんですけど」

「じゃあ雛子」

 樹が名前を呼ぶと、雛子は何か、急に名前を呼ばれて妙な気分になったのか、樹の顔を見た。

 雛子は思ったほど泣きそうな顔もしていなかった。

 樹はそれで若干安堵する。

「何よ。あなたの方が泣きそうな顔してるんじゃないの」

 雛子はそう指摘した。樹は「さあね」と曖昧に返す。

「お前が…雛子が、思ったより元気そうだったから、良かったって思っただけだ」

「……」

「四季の家、庭広いんだな。ちょっと歩こう」

 夜風がひんやりしていた。静かだ。祈の趣味で配置された外灯が庭をほのかな光で照らしていた。

「手」

 ひらひらと樹が雛子の手を求めた。

「何?手って」

「寒いし。俺が不安だし」

「何が不安なのよ」

「すぐ逃げるだろ、俺から」

 樹がめずらしく拗ねた物言いをするので、雛子は可笑しくなって手を差し出した。

「はい」

「何?いいんだ?」

「寂しいんでしょ?私の手がないと」

 樹は躊躇いがちに、雛子の手を掴む。今度は力任せにはしなかった。

「…やばい。今日いろいろおかしい」

「何言ってるのよ。あなた大丈夫?」

 雛子の方も樹の手の力が優しかったため、安心したのか、樹の歩く方についてきた。

「──今からマツユキソウを探しに行くみたいだわ」

 雛子が、庭の空気に「森は生きている」のそれを重ね見るように言葉を紡いだ。

 樹が「ああ」と雛子の言葉に、思いめぐらせるものがあったのか、庭の木々をふわりと見回した。



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