時は今



 忍には子供の頃からつらく思うことが多かった。

 たとえば冬の寒い日で、掃除の時間に誰も雑巾を触りたがらなかった。

 他の子は遊んでいる。

 掃除しよう、と言っても聞かない。

 教師でもないのに、そう何度も同じことを言うのも疲れた。

 忍はひとりで掃除をし始めた。

 いい子ぶっていると言われたが、汚いものをそのままにしておくのはと思ったため掃除を続けた。

 先生が来て、忍がひとりで掃除をして片づけているのまで見て、何で全部ひとりでするの、していない子たちにさせなさいと叱られた。

 どうして私ばかりこんなことで叱られているんだろうと思ったが、先生を相手にそう言うのもひどく労力を要するように思われた。

(疲れたな…)

 掃除をするのは嫌いではなかった。手をかけたぶんだけ綺麗になるのを見ると嬉しかったから。

 でもそれをいちいち「いい子ぶっている」と形容したい感情の持ち主が理解できなかった。

 いい子ぶっているつもりはなかったから「当たり前のことをしているだけだ」と言えば良かったのだろうか。

 自分には特に嫌いではない掃除も、周りの子は遊んでいて、自分だけがしているのは違和感は感じていたが、それを周りの子に強制させる理由を忍は持っていなかった。

「揺葉さん、キレイ好きなんだよね。させとけばー?」

 面倒くさがって、軽く投げられる言葉。

 何かが間違っていると思いながらも、どう間違っているのか、説明ができなかった。

 ただ、そういう言葉を投げられると、何かひどく虚しくなるものを感じた。

 感じたから忍自身は人にはそういう言葉を投げないようにした。

 投げないようにというのは、忍のそうしたい気持ちからだった。投げられて辛い言葉は人には投げない。

 それが忍には当たり前のことだったのだ。

 でも人の道理はそうではなあっても、忍の周りにはそうではない横暴とも思える当たり前が横行していた。

 つらければつらいとしつこく言わなければ、認めても貰えない。

 生き汚くなれ、と暗黙の了解で、社会から圧力を受けているかのように。



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