時は今
音楽科でいちばん大きな教室らしい四階のそこまで来ると、四季が「少し弾いて行ってもいい?」と言った。
どんな音のピアノなのかが聴きたいのだろう。
由貴は窓から外を眺め始めた。
四季はショパンのエチュードを弾いている。さっき桜沢涼の落とした楽譜の曲。
由貴は振り返り、四季が暗譜をしていることに感心する。
「覚えてるの?すごい」
「暗譜だとわかる由貴も相当聴いているんじゃないの」
「それは四季が弾くから」
「ふふ。由貴、ちゃんと聴いているんだ」
「聴いてるよ」
そこで開放された教室の入り口の方で、人が立っていることに気づいた。
榛色の髪。ハーフだろうか。日本人に何処かの血が混ざったような顔立ちの人物が立っていた。歳は二十代半ばに見える。
「あ…」
「上手いね」
明るい笑顔を向けられた。
四季と由貴は何となくお辞儀をしてしまう。
「ここで女の子を見かけなかったですか?ピアノの練習をするって言っていたんだけど」
流暢な日本語で言われて四季と由貴は顔を見合わせる。もしかして。
「桜沢涼さん、ですか?」
「うん。知っているんだ」
「11時頃、校門を出たところですれ違いました。綺麗な女性に呼ばれて、走って行きましたけど」
「ああ、硝子さんが来ていたんだ。──ありがとう、教えてくれて」
四季の目がじっとその人物を見ている。何処かで見たことある。
その人物は四季の視線の意味に気づいて歩み寄ってきた。
「私はヴァイオリンを弾いています。桜沢静和は見たことが?」
「あ…」
四季が思い出したように笑顔になった。
「何かの時に写真を見て。演奏はまだ一度も」
「そう。いつか聴きに来てくれると嬉しいです。名前、聞いてもいいですか?」
「綾川四季です」
今度は桜沢静和の方が驚く番だった。
「──すごいな。似ている弾き方する子がいるって思っていたら、本人だ」
「え」
「去年の秋のコンクールの時、聴いていました。頑張って」
握手をしてもらった。四季の隣りにいた由貴も。
その後予定があるのか、静和は教室を後にして行ってしまった。
四季と由貴は夢の中にでもいるような感覚に陥っていた。
「──由貴」
「ん?」
「涼ちゃんって…ヴァイオリニストの桜沢静和の妹、とか?」
「…だと思う」
涼の言葉が響いていた。
『お兄ちゃんが言っていたの。この子のピアノはすごいって』
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