時は今
(風邪ひいたかな…)
咳は時々。湯船に浸かっている時のようにとろんとした回路の思考。
音楽科の教室は少女比率が高い。その少女たちが放っておかない外見であることを四季は自覚しているので図書室に逃げ込んで来ていた。
器楽の時間が自習になると、普段からピアノを弾き込んでいる四季は何となく「普段あまりピアノに触らない生徒」のために器楽室を譲るような感じになってしまう。
というより四季が弾くとそれを見たい生徒が群がって来るため、そういう生徒の練習の妨げにもなるのだ。
器楽の次の科目が選択科目の地理だったため、四季は図書室の椅子に身を落ち着けると、地理の教科書を読み始めた。
音楽が好きな四季にとって、地理は興味深い分野だ。どういう音楽がどの地から派生したのか、その地がどんな場所なのかを知ることが出来るから。
「四季くん、授業は?」
司書の渡辺透子が返却本を棚に戻そうとして、いつのまにか四季がいることに気づいた。
四季は「自習です」と答えた。
綾川四季が時折保健室にいることは透子も知っている。
「図書室がいいの?気分でも悪い?」
四季はかぶりを振った。
「器楽室は普段あまり鍵盤に触れない人用にと思って。僕がいるとかえってみんなの練習の邪魔になるし」
透子は同情するような表情になった。
「気遣う立場にいるのも大変ね。キャーキャー騒いでいる子は楽しいんでしょうけど」
四季は肯定も否定もせず、窓の外を見た。
「僕の彼女もそうなんだけど」
「彼女?」
「うん。でもその子、何となく気持ちが純粋な気がして、他の子と少し違うのかなってつき合い始めたんだけど」
「けど…何?」
四季は微妙な感情を表現するのに、言葉を選んでいるようだった。
「うん…。フィーリング…なのかな。少し違う。僕が彼女と同じくらいの気持ちではないからかな」
「え?好きじゃないの?」
「好きだけど…。妹を見ている感じがして、あまりドキドキしない」
「そうなんだ」
「先生はそんな恋愛したことある?」
「そうね…。『いい人』と『好きな人』は同じではないってことはあるわ」
渡辺透子には四季がそのことで少しひっかかっている様子であることが微笑ましく思えた。
四季はこのまま図書室で自習させていてもいいだろうと判断した透子は、邪魔をしては悪いだろうと思い、書棚に本を返し始めた。