検品母
山口あゆみは、鑑別所に移送され、一連の心理テストを受けている。質問にイエス、ノーで答える、変な図形が何に見えるか答える、などなど。「勉強より面白いわ。」
ここ10日ほど、ママに会ってないけど、あゆみは別にさみしくなんかない。小学校3年生の女の子にあるまじく。それはあゆみが、ある特定の育てられ方をされたことによる。ママの秀子は、子供は産んではみたものの、自分が母親の役割をすることを愛していたのであって、あゆみを愛していたのではない。犬でも、子犬の世話をしない母犬がいるが、ヒトの女子でも子供に愛着が湧かないのがいる。祖母の弥生も幾分その傾向があったのが、引き継がれているに過ぎない。ただ、ヒトには、文明があるので、秀子とあゆみは、見かけは仲のいい親子にみえるし、彼女たちはお互いの役割を演じているだけだということに、気づく智慧もなかった。そう、身に周りをキチンと整えてやる事、見かけのしつけをする事、だけに血道を上げて、中の人には無関心だった。
具体的には、生まれたとき健常児かどうか。何ヶ月でそれができるか。可愛い容姿か。遊びや勉強が出来るか。お友達とうまくあそべるか。
このようなことばかり、気にして、肝心の愛情は注がれなかった。親の愛情とゆうより、上司が部下を査定するように。このことは、あゆみの質問に対する、その端々に現れている。
「お母さんに良く言われたことはなんですか?」
「あんた障害児ちゃうからできるでしょ。」
「これ以上食べたら、美奈ちゃんみたいなデブになる。」
「低学年のうちは100点取ってあたりまえでしょ。」
「グループに馴染めないのは、いじめられるのはその子が悪い。」
なぜ、そんなことが言えるのか?祖母の弥生が、秀子を育てたのがあんな風だったのに加えて、あゆみのやらかした攻撃の出方にある。愛された記憶のある者は、ムカつく子に対して素手で殴る。どこかに、相手も生身の人間だという実感があるから。カッターなど、武器でやる、ということは、その人間は愛されていない故自分が生きている実感は希薄であること、それ故相手が生きている実感が無いということである。わかり易くいうと、自分も物の様に扱われてきたので、相手も物。お人形かプラモデルの気に入らないところを直す感じ。

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