検品母
結末
「コラ!麗華!」
30畳のリビングの隅には、ビリヤード台があった。
しかし、 吉冨麗華は、カラフルな玉で遊びだした。
父親の光孝が制するが、子犬のようにじゃれついて、わたさない。
ボードゲームでも、玉玉のついたものがあるが、麗華は、玉で遊び、肝心のゲームはしない。
佳代子が、「お風呂入ってしまいなさい。」と言うまで、 麗華はカラフルな玉で遊び続けた。
ようやく、光孝は、本来のビリヤードを始めた。学生時代、おしゃれなバーなんかであって、それを思い出して、ヤフーオークションで、なんと5000円で落札した。
佳代子に、「また、邪魔になるもの買って...」とぼやかれるが、飽きればまたヤフオクに出すので、問題ない。
「ほんと、パチンコみたいに、玉は制御できないのね。」
「ああ、できそうで、できない。」
「ある意味、ゴルフより大変かもね。」
「うん。でもそれがいい。」
「はん。わかった....」
「?!」
佳代子は、いつもイラストのネタを探して歩いているので、なんでも連想しちゃうのだ。思いついたのは、人間関係の事。
確かに、玉を突けば、転がる。が、どこにどうぶつかって、どう転がるかは制御できないのだ。
人間同士でも、アクションを起こせば、反応はある。
しかし、どう転がっていくかは、極言すれば、ビリヤードみたいなものかもしれない。
あの事件でも、子供同士の小競り合いで済むところが、山口あゆみがカッターを出したからややこしくなったと聞く。
直接の原因は、山口あゆみの性格や山口秀子の育て方だろう。しかし、ユングが言うように、個人の無意識というものはつながっているので、複雑なのだ。ビリヤードの玉の動きのように。
人々が共感する歌などがあるのは、そのためだ。
共感≒普遍的無意識なのだ。
普遍的無意識がなければ、美空ひばりもSMAPもいなかっただろう。
テレパシーとか、呪い、恋愛のおまじないなんかも、このつながっている個人の無意識に、働きかけるというものなんだろう。
でも、最後の一歩は、山口あゆみがカッターを出すか出さないかだ。
これを押す、何かって?
わたしも最後の一押しが、出てこない。新しいキャラクター考えろといってもなあ。
ビリヤードの玉の動きを見ながら、考えあぐねた。












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