検品母
形成外科医、広沢芳樹は、学会で関東大学付属病院にきていた。広いロータリーでタクシーを降り、お目当ての記念ホールを探した。
しかし、なんだか物物しく、病院の玄関とか、あらゆる建物に黄色いテープが張られている。警察車両も何台か。
「広沢先生、学会は中止です。」
関東大学の若い医師、細川が、背広姿で駆けてきた。
「なにが起こったんだ?!」
「患児の母親が暴れました...」
細川は、青白い顔をさらに紙のように白くして、息を切らせて、一言だけ告げた。
広沢芳樹は、そのとき、ある光景が浮かんだ。
手術を終えて、夕刻、病棟を診に来たときだ。
もう、ナースステーションが見えた頃から、聞き覚えのあるすさまじい泣き声が響いていた。広沢は、患者の幼い子には、よく泣かれる。だから、慣れているが、つんざくような...宮下恵子か?
看護師が近寄ってきた。
「あのう。宮下恵子ちゃんが別の親子とモメまして...」
なんでも、重症の宮下恵子が、軽症の親子に、「わたしらは、もう退院するもんねー。」的な事を言われたらしい。
やれやれ、と思いながら、個室に向かった。
宮下恵子の親は、他の軽症の親子にひどい目にあわされるので、高いけど個室に隔離している。
「どうした?」
「あいつら殺したる!」
「これ、そんな物騒な事いうもんやない。」
と、言いつつ、広沢は、どうも言えない。
メスさばきはあざやかとはいえ、こういうメンタルな問題は苦手だ。
やっとの思いで、看護師に鎮静剤の静注を持ってくるように言いつけ、宮下恵子の涙と鼻水をぬぐいながら、傷のガーゼをはずしにかかった。


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