三日月の下、君に恋した
駅を降りて、バスには乗らずにタクシーを利用することにした。
駅の構内はがらがらで、まばらに行き交う人影も老人ばかりが目立った。駅の周囲はぐるっと山に囲まれ、駅前の商店らしき建物はどれもシャッターが降りている。
広々としたロータリーで一台だけ停まっているタクシーに乗り、菜生は行き先を告げた。運転手の話によると、思ったより遠いらしい。
車は、川と山に挟まれた細い車道をえんえんと走り続けた。カーブばかりで、まっすぐな道がない。
前方に見えるのは、空の下にいくつもの山が続く深緑色の景色で、人家はまれに見える程度だった。それも目的地に近づくにつれ、減っていく。
「そういえば」
と、運転手がしゃべりだした。
「葛城リョウが今書いてる小説は、このへんの言い伝えをもとにしたものなんだってね」
菜生は身を乗り出した。
「ほんとうですか?」
ミラーに映った中年の運転手がうなずく。
「何でわざわざこんな辺鄙な場所を、と不思議に思ったけどね。でもまあ、彼の作品に登場するなら、光栄なことだよ。久しぶりの新作だしね」
運転手の言うとおりだった。