三日月の下、君に恋した
 梶専務はそこに座ったまま、デスクに両肘をついてにこやかに航を見ている。

「それで、葛城リョウの件は……社長に話してくださいましたか?」

「いや、話していない」


 そう言って、ぞっとするほど冷たい目で航を見た。笑顔を浮かべたまま立ち上がる。

「それどころじゃなくなったのでね」


 しまった、と思った。


 全身から汗が噴き出し、部屋の壁がぐらっと揺れた。


 ゆっくりと立ち上がって、こちらに近づいてくる専務の手に、一冊の本が握られている。

「昨日、秘書が届けてくれたんだよ」

 ぱらぱらと本をめくって、興味がなさそうに閉じる。本自体は何の変哲もない、書店でよく見かけるサイズの単行本だ。内容もごくふつうのビジネス書。

「どこの書店も置いてなくてね」


 著者は無名の新人で、一年半前に出版された。初版三〇〇〇部。そのうち半分近い在庫が出版社の──うちの会社の倉庫に、今も眠っている。


 吐き気がする。


「もちろん、きみは見覚えがあるだろう?」

 本の最後のページを開いて、航の目の前にかざした。


「株式会社鱗灯舎代表取締役社長、早瀬航君」


 専務の抑揚のない声が、室内に冷たく響いた。
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