三日月の下、君に恋した
 航は急に嫌そうな顔をして、「あいつがしゃべったのか」と聞いた。

 菜生はうなずいた。

「十代の頃からよく知ってるって」


 航は片手で両目を覆い、「よけいなことを」と言ったきり黙りこんだ。

 どうして話してくれなかったのとは聞けなかった。

 話せない理由を聞くのが怖い。


 菜生にとって、あの本は大切な思い出以上のものだった。


 一冊の本に──それも子供の頃に出会った本に、いつまでもこだわり続けるような感傷的な人間は、自分くらいだと思っていた。

 だけど今は、彼にとってもそうなのではないかと思う。


 もしかしたら、羽鳥社長にもう一度絵を描いてもらいたいと願っているのは、ほんとうは葛城リョウよりも彼のほうなんじゃないだろうか。


 思い過ごしかもしれない。

 でも、彼は、きっとまだほかにも嘘を抱えてる。


「ごめん」

 航が言った。その声がかすかに苦痛を帯びていることに気づいて、菜生はそれ以上尋ねるのをやめた。

 彼の秘密を知りたいと今でも思う。

 だけど、そのせいで彼がさらに苦しみを味わうことになるのなら、知らないほうがいい。いつかその苦しみが消えるまで──彼が話してくれるまで待とう。
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