三日月の下、君に恋した
　本棚には、昨日と同じ場所に『三日月の森へ』がある。

　深い青と緑に彩られた表紙の絵は、はじめて手にとったときから変わらない。古くなって色褪せてはいるけれど、吸いこまれそうな森の静けさも恐ろしさも、子供の頃と同じように感じることができる。


　なのに、もう昨日とは違う。


　日曜に会って話をしていても、親しいというわけではなかったし、社長だとわかってからはなおさら遠い人だと感じていた。

　でも、今はとても近く感じる。

　この絵を描いた人は、この森の存在を知っている。

　私が見たあの森を、彼も見たのだろうか。


「出かけるんですか？」

　菜生が部屋を出て玄関に向かおうとすると、リビングにいた美也子が振り向いた。

「うん」


　美也子は、菜生がふたたび出勤時に着るコートをはおっているのを見て、一瞬けげんそうな顔をした。菜生は何か言われる前に「いってきます」と言って玄関に向かった。


　公園はいつにもましてにぎわっていた。ちょうど桜が満開だった。子供たちの笑い声が響きわたり、犬が吠え、どこかで誰かがトランペットの練習をしている。

　菜生はいつものベンチに座って、彼らが来るのを待った。陽射しはあたたかく、風は花の匂いがした。
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