三日月の下、君に恋した
33.ここで待ってろ
桜が散ると、公園の緑はいっそう濃くなった。
幼い子供を連れた若い夫婦が、菜生の目の前を通りすぎていった。
子供の足はあまりにも小さくてたよりなく、今にも転びそうだ。彼らは何でもないように笑い合いながら去っていった。
「気持ちのいい季節になりましたね」
ふいに人の気配を感じて、横を見るといつの間にか羽鳥社長がベンチに腰掛けていた。あたりを見回してみたけれど、長崎雅美の姿は見えない。
「今日はおひとりなんですか?」
「日曜の午後を自由に過ごす権利が、彼女にはあります。もちろん私にも」
そう言って、ふっと笑った。いつも見せるおだやかで満足そうな笑顔だった。
膝の上には、今日もスケッチブックが乗っていた。菜生がここで彼と会うようになってから、彼がスケッチブックを持たずに現れたのは一度だけ。航と会ったときだけだった。
「どうかしましたか」
社長がおだやかな表情のまま、菜生の目を心配そうにのぞきこむ。菜生はうまく笑えないまま、手の中のハンカチを握りしめた。
「あの……私の話をしてもいいですか」