三日月の下、君に恋した
 車の窓越しに景色が流れる。

「……お母様も、出版関係のお仕事を?」

「そうですね。もうずいぶん昔に引退されて、名前を知る方は少ないと思いますが、北原まなみという作家でした」





 古い家並みが残るバス通りで車が止まり、バス停のベンチでタバコを吸っていたサングラスの男が気だるそうに立ち上がるのを、菜生は後部座席でぼんやりと眺めた。

 送ってくれた松田に礼を言って、車を降りる。

 途中から黙りこんでしまった菜生を、あえて訝るそぶりも見せずに、松田はそっとしておいてくれた。沈黙を共有できる人なのだろう。


「遅い」


 車から降りた菜生を見るなり、葛城リョウは文句を言った。それから運転席の松田に挨拶もせずに歩き出した。

 菜生はもう一度運転席の松田に頭を下げ、彼の車が追い越していくのを見送ってから、先を歩くオレンジ色の髪の男についていった。


 バス通りから、入り組んだ細い路地に入る。落ち着いた景観の続く路地をしばらく歩くと、塀越しに青い葉の茂る大きな桜の木が見え、ひときわ目を引く古い屋敷に辿り着いた。
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