三日月の下、君に恋した
「あの……金曜に……あのとき、私、ホテルに、忘れ物をしたみたいで……。あの、見なかったですか? ハンカチなんですけど」

 子供みたいにしどろもどろになりながら、菜生は小声でなんとかそれだけ口にすることができた。こんな態度はあまりにも情けないと思った。早く返事を聞いて、その場を立ち去りたかった。


 航は感情のこもらない目で菜生を見下ろし、「見なかったけど」とそっけなく言った。


「あ……そうですか」


 失望と、強烈な後悔が押しよせてきた。

「すみません。そのこと、聞きたかっただけですから」

 そう言うと、あとは彼の目を見ずにきびすを返し、急いでその場から離れた。


 なかったことにしたかったのは、菜生のほうだ。

 忘れられたら、どんなにラクだろうと思った。時間をもどして、出会わなかったことにできたらいいのにと思っていた。


 なのに、どうして泣きたくなるんだろう。
< 29 / 246 >

この作品をシェア

pagetop