三日月の下、君に恋した
6.作者の名前
その本を最初に見かけたのは、小学校の図書室だった。
藍色とも紺ともちがう、緑がかった深い青の表紙がめずらしくて、何げなく手にとった。そしてそこに描かれた見たこともない世界に、菜生は夢中になった。
壮大で繊細な物語は、圧倒的な力で菜生の心を奪った。
ページのところどころに現れる挿絵もすごかった。子供向けの本なのにかわいらしさはなく、緻密でリアルで、挿絵というより一枚の完璧な絵画のようだった。
こんな本には出会ったことがなかった。
その頃の菜生は、放課後をいつも図書室で過ごしていた。
家に帰りたくなかったからだ。
母はいつでも機嫌が悪く、愚痴ばかりこぼしていた。菜生のことなどどうでもいいみたいだった。父が夜遅く仕事を終えて帰ってくるのを待ちかまえて、文句を並べたてた。
夫婦が激しい口論になることはしょっちゅうだった。
父には母のほかに親しい女性がいることを、母の口から聞かされた。
毎日父の悪口を言い続ける母は、何より世間体を気にする人だった。父が離婚したいと言い出したときも、「私の身にもなって」と泣きわめいて、決して許さなかった。
早く別れてしまえばいいのに、と菜生は何度思ったことだろう。
あの頃は本の世界だけが、菜生の居場所だった。