三日月の下、君に恋した
 早瀬の声はいつもと同じように低くおだやかだったけれど、わずかに緊張しているようにも思えた。はりつめたものが伝わってくる。


「いいかい、この本には秘密がある。とても大事な秘密だ。今は話せないけど、いつかお母さんが話してくれると思う。だからそれまで……」


「それって、俺が生まれる前のこと?」


 早瀬の顔が明らかにこわばり、言葉をなくした。

 航は本を受けとって、大きな声で「ありがとう」と言った。


「もうわかったよ。秘密のことは二度と聞かない」


 早瀬は、ほっとしたような気落ちしたような、複雑な泣き笑いみたいな表情を浮かべていた。そして航の頭をくしゃくしゃになるまでなでた。

「きみは……えらいな」


 それから九年後に、二人はとつぜんこの世を去った。

 秘密を打ち明けないまま。


 あのときの早瀬は、いったいどんな気持ちだったんだろう。何もかも全部知っていたのだろうか。ひょっとしたら、すべて知っていたわけではなかったのではないか──。


 母は、真実を語らなかったことを後悔しているだろうか。それとも、最後まで胸に秘めて語らないつもりだったのだろうか。だとしたら、自分が今していることを、どう思っているだろう。
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