弟矢 ―四神剣伝説―
一矢の言葉に、周囲に激震が走る。


「嘘です! 乙矢殿はそんな方ではない!」

「無論、奴は悪人ではない。だが……心が弱い。戦いからも神剣の宿命からも奴はずっと逃げたがっていた。無論、父や母の死までも願っていたわけではないだろう。だが……奴の愚かさが爾志の一門を破滅に導いた。私は奴を赦したが……また臆病者の本性が顔を現したかも知れぬ」


その姿は、どう見ても弟に愚行に心を痛める兄の表情であった。


「そんな……そんなことは信じられません。私は」

「乙矢が認めたのだ。私に縋り、泣いて詫びた。だから、里を出るように言った。爾志家の領地に戻るよう……全てが終わるまで、身を隠すように言ったのだ。すまない。まさか、こんな真似をするとは思わなかった……」


弓月の顔から色が無くなり、今にも崩れ落ちそうだ。


「では……乙矢は『青龍』一対を手に、蚩尤軍に走ったというのか?」


長瀬は誰に問うでもなく、呆然とひとり言のように呟いた。


「だから、奴を信用してはならぬと言ったのだ! 奴は元々、蚩尤軍に通じていたに決まってる。だからこそ、高円の里が襲われ村人が捕らわれた! ここも直に奴らに伝わる。一刻も早く出立せねば!」


新蔵の中の、乙矢を認め始めていた心は、まるで暗幕に覆われたように見えなくなった。

逆に、新蔵の胸には、弓月の心を奪った乙矢憎しの感情がこみ上げて来る。それは、正三に刃を向けた自責の念から、生み出された感情でもあった。


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