弟矢 ―四神剣伝説―
鼓膜を引き裂く叫声に、正三も動きを止めた。彼を追う敵兵も、一様の戸惑い、立ち尽くしている。


「また……鬼か」


それは、苦悩に満ちた正三の声であった。

今、彼の背に神剣はない。だが、鬼の気配が正三の胸を揺り動かし、聞こえるはずのない鬼の声が、彼の胸に響いた。
 

――勇者よ。我を手に。最強の力をお前に与えよう。


高円の里では、背負った『二の剣』に引き摺られるように、鬼の前に連れ出された。それまで経験したことのない興奮が全身を巡り、気付いた時には神剣を抜いていた。

だが、今日は違う。

興奮ではなく、鬼に体を支配される恐怖が、正三の胸に込み上げて来る。自然に、指先が震える。生まれて初めて彼は、腰が引ける、という感覚を味わった。


「なるほど……。中々どうして、怖いものだな」


無論、人を斬ること、斬られることに怯えるような正三ではない。だが、万に一つも、再び弓月に斬りかかった時は……。

正三の思考を遮ったのは、後方から吹き込む風であった。

縛り損なった数本の髪が、彼の前を泳ぐ。風は応援の到着と、結界の破綻を知らせた。


里が危険だ。それに、鬼がおきみを見つけた時は、即座に斬られるだろう。
 

正三は覚悟を決め、来た道を駆け戻ったのだった。


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