弟矢 ―四神剣伝説―
対して――乙矢がいくら自尊心を取り戻したとはいえ、即席で勇者になれるはずはない。相変わらず膝が笑い、股間の一物は縮み上がっている。

だが静かに、そして深く、乙矢は呼吸を重ねた。腹に残った息を吐き出し、臍下丹田(せいかたんでん)に気を入れる。


乙矢は新蔵に借りた刀で脛下(すねした)下段、地の構えを取った。あくまで“守り”だ。


「だったらなんだ。――武藤小五郎、貴様に訊ねる。姉上の最期を誰に話した?」

「姉? 最期とは……いかに楽しんだか、ということか?」


何を今更とばかり、鼻で笑って武藤は答えた。だが、乙矢には重要なことだ。


「んなこと聞いてんじゃねぇ! 姉上が、自ら首を吊られたことを、人に話したのかと聞いてるっ!」

「なぜ話さねばならん! そのようなこと、あの場にいた者なら皆知っておろうがっ!」

 
返事と同時に武藤は踏み込み、右上段から刀を振り下ろした。

乙矢の左肩に切っ先が触れる。食い込む寸前、半身を引いて刃をかわす。残した足を軸に、乙矢は逆袈裟に斬り上げた。

しかし、新蔵の刀は細身の乙矢には重い。

ぶれた剣先は武藤の腕に食い込む、が――切断するには速さが足りない。


武藤は己の利き腕を斬られ、血が吹き出すのを呆然と見ていた。しかも、完全に見下した小僧相手にだ。その事実に驚愕し、武藤は数歩後退した。


「乙矢っ! とどめだ!」


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