弟矢 ―四神剣伝説―
背後から正三の声が響く。無論、乙矢の耳にも届いていた。だが、自ら斬りかかることがどうしてもできない。


「刀を……捨ててくれよ。里の蚩尤軍兵士は、皆、正気に戻ったぜ。もう、貴様に従う奴はいない」

「笑わせるなっ! 拙者に降参せよと申すか?」

「これ以上戦って、死体を増やしてなんになる? それでもやるんなら掛かって来い。俺が引導渡してやる」

「――よかろう。捨ててやろう」


言うなり、武藤は左手に持った刀を乙矢に向かって投げつけた。

乙矢が、それを叩き落とした瞬間、鼻先に武藤の顔があった。奴の左手に抜き身の脇差がある。武藤が後一歩踏み込めば、乙矢の腹に刺さる――。

乙矢がヒヤリとした時、武藤の頬に刀の柄が食い込んでいた。


「し、正三……」

「震える声でハッタリは通らん。爾志の宗主から教わらなんだか?」


正三が脇差を抱えて立っている。その声は珍しく怒気を含んでいた。

 

「織田さん! 無事ですかっ!」


それは新蔵の声であった。闇の中、乙矢の来た同じ方向から聞こえる。


――ハッとして、乙矢と正三が振り向いた時、武藤の大きな体は森に吸い込まれた後であった。


この時、安殿の溜息を吐く乙矢を、正三は見逃さなかった。


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