弟矢 ―四神剣伝説―

これまで、弥太吉は凪の言葉に逆らったことなどなかった。それが今は、弓月のことすら軽んじている。

里を出て、長瀬はだいぶ以前に戻りつつあった。だが、この弥太吉の様子には変化がない。信頼や尊敬を餌に少年の心を虜にしたのか、それとも『神剣の鬼』は伝説では計り知れない、不思議な力を秘めているのか……。

里を発つとき、正三にくどいほど、一矢と弓月を二人きりにはしないで欲しい、と頼まれた。正三の心配は痛いほどわかる。だが、今の事態は凪にとっても、不測の事態だ。

本心を言えば……勇者である一矢との再会が果たせしだい、すぐにも仮祝言を挙げて、夫婦の契りを交わしたほうが良い、と考えていたのだ。

しかし、あの一矢に弓月は託せない。

正気に戻った新蔵が乙矢と和解し、里に残った正三と共に一刻も早く我らに追いついてくれること。それだけが、凪の願いだった。



そこは八畳ほどの部屋だった。真ん中に衝立を置き、弓月は与えられた寝間に横になる。


（……疲れた）


休まねば、と思うほどに目が冴え、弓月の神経を苛立たせた。目を瞑り、強引に意識を落そうとするのだが……小さな咳払い、寝返りの音、果ては羽虫の音すら気になり、結局、わずかな眠りすら弓月には訪れなかった。

　
一矢と旅して二日目。気の休まる暇がない。

凪には凪の思惑があり、こうして従っているのだろう。この湯治場に宿を取ろうと言い出したのも凪だった。


『休める時に休む必要があります。この先は、仮寝の宿となるでしょう。南国での隠れ里など、誰もわからぬのですから。違いますか、一矢どの？』


凪の言葉に、一矢も異を唱えなかった。