弟矢 ―四神剣伝説―
弓月はあまりの衝撃に身体が揺れる。その瞬間、パキンと足元で小枝が折れた。


「誰だ!」


逼迫した声を上げつつ振り返った時、一矢が掴んだのはやはり脇差の柄。


「おやおや……夜這いならこのような場所ではなく、部屋に来てくだされば良いものを。それとも、師範の一人と宿の外で密会ですかな」


別段、慌てた様子もない。むしろ、小馬鹿にしたような口ぶりだ。だが、弓月は一矢から視線を逸らさずに訊ねた。


「一矢殿。今の言葉、説明いただきたい」

「……夜這いの件なら閨でゆっくり」

「正三がどうした、と仰った?」


既に両手を上げて刀から手を放した一矢とは対照的に、弓月は長瀬から借りた脇差の柄に手を掛け、いつでも抜けるように握り締める。

長瀬も同様だ。だが、彼の右腕――高円の里で正三に斬られた傷が完全に癒えてはいなかった。いや、ともすれば元通りにならぬ可能性もある、と凪に言われている。無論、弓月はそのことを聞かされてはいない。


「拙者にも聞かせて貰おう。正三のことだけでなく、新蔵に乙矢殿を追わせた訳も。そして、屋外であるにも関わらず、脇差を抜こうとした理由も、でござる」


何かの間違いに決まっている。

だが、もし事実なら……相反する思いが弓月の心を千々に乱した。このままでは、張り詰めた感情に翻弄され、糸のようにぷつりと切れてしまいかねない。

月の光も星の影も、弓月の瞳には映らなくなっていく。

硫黄の匂いを含む白い煙が、風に乗って森の中を揺蕩(たゆた)う。それはゆっくりと、弓月と一矢の間に流れ込んだ。


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