弟矢 ―四神剣伝説―
弓月は、矢が飛んできた時の乙矢の対応で、彼が額面通りの腰抜けでないことを確信していた。あの時、乙矢は動かなかった、背後にいた弥太吉を庇ったのだ。自分の体を盾にするなど、賢いやり方ではないが心根は正しい証だ。


「武藤と申したな。貴様と取引はせぬ。どうしても、と言うなら――私はこの手で神剣を抜くつもりだ。鬼となっても、これだけは譲れぬ!」


弓月の気迫に全員が息を呑む。

そして、乙矢もようやく顔を上げた。

武藤の顔を見るなり、一言も発せず、ずっと俯いて震えていたのだ。この時はじめて、弓月の額や首筋に、滝のような汗が流れていることに気付いた。先刻からの斬り合いは、女の体力ではすでに限界だろう。それでも尚、弓月は乙矢を庇って前に立ち続けている。


この時、乙矢は生まれて初めて、自身の弱さを恥じた。



長い間、物心ついて以来ずっと、乙矢の心と体を縛り付けてきた言葉があった。


『乙矢は何もできずともよい、このままでよい』


その言葉は呪縛となり、一門が壊滅状態に追い込まれてもなお、一矢が助けに来てくれる、と思い続けた。その反面、一矢まで失うくらいなら、四天王家も神剣も、全部欲しい奴らにくれてやる、という思いもある。

乙矢は、自分の生き方はおろか、進む方向すら、一矢がいなければ決められない人間になってしまっていた。

だが今、弓月に守られ、彼女の背に隠れる自分が恥ずかしい。弓月を守りたい。一矢の十分の一でも強くなりたい。


――運命は、確実に真実を求めて動き始めた。


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