ふたり。-Triangle Love の果てに

~片桐真琴~


その日は、珍しくYesterdayのマスターがおつまみに出すチーズの追加注文をうっかり忘れていた。


当然、お客さまにお出しするチーズが足りなくなって、私が買いに出ることになった。


ちょうどその時は、私の担当するカウンターにお客さまはいなかったし、マスターも恵美さんも忙しそうだったから。


近くの24時間営業のスーパーでは、本場仕込みのチーズを売っていないことはわかっていたけれど、午前1時では他に開いている店もない。


今夜来られたお客さまには、申し訳ないけれどこれで我慢してもらおう。


小さなビニール袋を提げてYesterdayに急いでいると、視界の端に見覚えのあるシルエットが映った。


反射的にそちらを見る。


次の瞬間、私の周りから一切の音が消えた。


いつもは、あちらこちらからひっきりなしに聞こえてくるクラクションも、酔ったサラリーマンの遠慮のない高らかな笑い声も、行き交う多くの雑踏も…


何も聞こえなくなった。


目の前の出来事に、私のこの身体は凍り付いたように動けなくなった。


ああ、きっとあれは人違い、と何度も思おうとした。


でなければ、夢。


悪い夢なのだと…


必死でそう自分に言い聞かせたのに…


あれはまぎれもなく「彼」で、夢でもなんでもない「現実」。


私の中で、何かが崩れ落ちてゆく気がした。


ひとつ、ふたつとそのカケラが地に落ちてゆく。


…どういうこと?


…あの女性は誰?


…どうしてあの人は、あなたにキスをしたの…?


去りゆくタクシーを見送るその背中に、私は何度も問いかけた。


Yesterdayの仕事を終えてマンションに帰っても、泰兄はまだ戻ってはいなかった。


まさかあの後彼女と?


嫌な想像だけが、ムクムクと湧き上がってくる。


打ち消しても打ち消しても、まるで押し寄せる荒波のように、私の襲いかかってくる。


いや…!


そんなの絶対にあり得ない!


泰兄が他の人と…だなんて!


早く帰ってきて。


どういうことなのか説明して…。


泰兄…


私を裏切らないで…


< 287 / 411 >

この作品をシェア

pagetop